消え行く我が「東京銀行」;喫煙・分煙・禁煙

消え行く我が「東京銀行」

私が育った「東京銀行」の名前が消えることになりました。

5月15日、三菱東京UFJ銀行の名称が、2018年4月1日を以て、当初の合併合意に反し、「東京」を削除し、「三菱UFJ銀行」となる見込みであることが発表されました。

 

振り返りますと、私が東京銀行を退職してオレゴン州ポートランドに移住したのが1990年3月、東京銀行が三菱銀行と合併したのが6年後の1996年4月、そして三和銀行と東海銀行が合併したUFJ銀行と合併したのが、さらに9年後の2005年1月でした。

 

私が東京銀行のオレゴン州ポートランド支店に派遣されたのが1983年3月、帰国したのが1988年4月、私の東銀退職後まもなく始まった本邦の暗黒の20年を反映して、国際化を目指す銀行業界の大再編の渦が巻き起こりました。しかしながら銀行の合併により、大銀行が競ってさらに肥大したに過ぎず、中味は以前のまま旧銀行の覇権争い、という見苦しい話しも聞こえて来ています。

伝統的に東銀は、比較的海外初め各分野の専門家行員が多く、外国為替専門銀行であったため、大商業銀行を相手では、合併後はひとたまりも無かったのかも知れません。

 

私は駐在時代、東銀の米国現地法人であったユニオンバンク(本店サンフランシスコ)の全米制覇、少なくとも西海岸拠点のユニオンバンク統合化や、または政府系銀行群との合併を一人主張し続けてきましたが、カラオケとは違い、負け犬の遠吠えのごとく声が小さすぎ、全く相手にされませんでした(笑)。

 

東銀の名が消えることは誠に寂しい限りですが、他の東銀出身者の方々とともに、旧横浜正金銀行及び旧東京銀行のDNAと伝統を及ばずながら継承し、余生、無い頭を絞りつつ、少しでも内外社会のお役にたてるのであれば幸甚に存じます。

 

(2017年5月記)

 

喫煙・分煙・禁煙

私が初めて米国に来たのが、1983年3月。当時は喫煙社会であったアメリカでも、タバコの健康被害が問題となり、間もなくオレゴン州では「公共の場では禁煙」との法律が施行されました。公共の場とは法で具体的に指定され、不特定多数の人が居る場所ということで、政府系の事務所は無論、私が勤務していた銀行のロビーも含まれました。レストランも指定区域でしたが、分煙していればいい、ということでした。数年後、分煙では効果無く、どうしても受動喫煙の恐れありとのことで、レストランでも全面禁煙となりました。また空港も指定場所で、ポートランド国際空港のロビーでは、小さな喫煙部屋があり、そこに入っては喫煙し、終わって出てくるのですが、喫煙部屋はガラスで被われているため、中が丸見え、やや哀れな感情を抱いたものです。

現在は、オフィスでも全面禁煙になり、オフィスビルでは出入り口やベンチレーターから遠くは慣れた外に(通常は駐車場の一番遠い端っこ)喫煙場所を指定することになっています。

私は若い時は喫煙者でした。当初より本数が少なかったせいか、仕事中はもちろん、夜のお酒の場以外では吸いません。したがって今過多約20年前のタバコを止めた際も、決心だけで容易く止めることができ、現在に至っております。

 さて最近、日本でもレストランなどで全面禁煙の問題が議論されていますが、国会議員が禁煙に消極的な者があると聞いてやや驚いています。国家を考える政治家が、です。これはイデオロギーや信念の問題ではなく、他人に迷惑をかけてはいけないという「人間としての生きる責務」なのではないでしょうか?

タバコの煙は、いくら外でも近くに人がいると受動喫煙の恐れがでてきます。

権利、権利と言うけれど、義務を履行して初めて権利が生じるものです。

権利主張型のアメリカでさえ、このように徐々に厳しい社会に変化していっています。

 世界に恥ずべきアメリカの大統領、トランプが、タバコ産後の雇用のためとか称して、喫煙を復活させるような、狭見的なバカなことをしないといいのですが。。。歴史的笑い話になってしまいます。

 

サンディエゴに住んでいる息子のFace Bookに、彼は”Sorry world, excuse our idiot president.”と書いていました。(笑)

 

(2017年6月記)