仕事と働き方改革
テレビ番組を見ていて、ふと思いました。
最近の番組で、夜のビルの明かりを見て、遅くまで「仕事」をしている、あれはサービス残業かなあ?上司からの命令で「残業」しているのかなあ?との一般的疑問と感想。
もちろんパワハラなどによる残業はいけませんし、残業を奨励もしませんし、ましてやサービス残業は論外です。
私もとうに70を超えた爺ですが、銀行勤務当時、日中は顧客を訪問し、種々の相談に乗ったり、アドバイスをしたり、アイデアを議論したりし、時に馬鹿話をし、銀行に帰ってから報告書や稟議書を書くので、必然的に毎日「前向き」に残業をしていて、ビルの夜の灯りを見ると、昔を思い出します。夜の全ての窓に灯りが点り、活気にあふれる私の時代は、まさに「♫ジャパニーズビジネスマン♫」リゲインの時代、多くの皆さんが「世界に羽ばたく日本のビジネスマン!」でした。
しかし顧みると、私達に「残業」という発想があったでしょうか?
もちろん会社が、残業に対し正当に対価を支払わないと違法です。米国労働法では、ノンエグゼンプト従業員、いわゆる年棒制の管理職ではない、主として時間給の従業員が、週40時間以上勤務した場合、時間給の150%の残業給与を支給しなければなりません。
しかしながら、当時の私たちに残業を申告し、その対価を受け取る強い欲求があったでしょうか?
当時私達は、競争=案件獲得、自己目標、やり甲斐を糧に、残業の発想なく、ただひたすらに、銀行や顧客や自己の目標に向かって邁進し、案件を次々に成就し、その結果、大義として「社会に貢献」する、こういう「人生のやり甲斐」を持って仕事をしていたような気がします。
働き方改革?うーん、色々あるんじゃない?お上が決めることでは無いんじゃないの?と官僚嫌いの自分がうそぶきます。民間は子供じゃないよ、と。
世の中には全て真っ正面から見てくれる訳ではなく、左や右から見て自分は正解だと言いはる議論が多いのですが、自己を言い張るのは良いのですが、人の言うことも敬意を持って聴かないと、いけません。社会で生きる人間は、如何なる自己主張をする前に、義務があります。虫や獣のように「メス」のために戦うのはよくわかりますが、人類は歴史的に宗教や人種や差別で闘います。人類は、虫や獣よりレベルが低い発想、だと云わざるをえません。これは利己主義や覇権主義から来るものでしょうが、権力争いは人類独自の争いで、この地球上では恥ずべきです。人類が協調して宇宙開発する時代に、ヤクザ金融のようにして比較的経済的に弱い世界を制覇したり、時代に逆行して怨念を持ちだしたり、宗教や主義や慣習を他に強いたり、損得勘定だけで行動判断したり、人類社会、国際社会は長い歴史のなかで、どうして平和で仲良く進化していかないのでしょうか?
「忖度」でケンケンガクガクしている社会が、一番平和なのかも知れません。
私の悪いクセで、どんどん話が発展してしまいましたが、私が言いたかったのは、ビルの夜の明かりを見て、決して「残業」とか「労働強化」とか、ネガティブに発想して欲しくはない、むしろ、「おお、頑張ってるなあ、応援してるよ。」と思って頂きたい、と思った次第です。
(2020年8月記)